2006年08月09日

映画『ゲド戦記』

ゲド戦記・オリジナルサウンドトラック ネットでは酷評の嵐が吹き荒れているこの『ゲド戦記』ですが、あれほどコキ下ろされているとあってはかえって見ないわけにはいくまいと思い、気合いを入れて見に行ってきました。でもこういう見に行き方はかえって逆ネガティブ・キャンペーンに乗せられてるんじゃないのか?という気もしますが…これも鈴木プロデューサーの陰謀ですか?(笑)

・あらすじ
世界の『均衡』が崩れつつあった異世界アースシー。災いの根本を見極める旅をしていた大賢人ハイタカ(=ゲド 菅原文太)は、親である国王を刺して逃亡していた王子アレン(岡田准一)と出会い旅を共にする。彼らは大都市ホート・タウンの荒み切った現実に出会い、ハイタカの昔なじみテナー(吹雪ジュン)の家に身を寄せる。そこでアレンは自分がホートタウンで助けた顔に傷跡のある少女テルー(手嶌葵)と再開する。だが自暴自棄なアレンをテルーは受け入れず、アレンは”影”に追われそこから逃亡する。一方、ゲドの元にも過去の因縁が絡む魔法使い”ハブナーのクモ”(田中裕子)の魔手が迫りつつあった…。

・以下多少ネタばれがあります。[ネタばれ]は反転させてご覧下さい

ゲド戦記は、アーシュラ・K・ルグイン原作のファンタジー小説。かなり読んでる人は多い名作のようですが、私は未読だったので全く予備知識無しに鑑賞しました。内容的には大体3巻目を中心にしているとか。

見終わった後、ゲド戦記と言っても全然ゲドが主人公じゃなければ戦記でもないじゃん、ってとなりのカップルが言ってましたが、たしかにその通り。タイトルはゲド戦記とともに下敷きにしたらしい父宮崎駿作の『シュナの旅』をもじって『ゲドの旅』にでもした方が良かったかも。CMをご覧になった方はおおよそ想像が付く通り、ちょっとお説教っぽいところが鼻につく感じのいささか堅めなお話でした。正直言って世間で言われてるほどつまらないわけでもないけど、映画監督の初期作品にありがちな”お話の整合性”よりエネルギーが余っちゃって暴走した感じはなかったですね。宮崎駿監督のアニメにあるような独特の浮遊感も感じられなかったし…。やっぱり偉大な親の才能なんてそうそう息子に遺伝したりはしないのかなぁと、下世話な安心感とともに少々ガッカリしてみたりして。まぁ、まだ一作目で才能を判断するには早計に過ぎる気はしますが…。

映画の序盤からちょっと退屈なカットが続いて、興味を繋ぐにはつらいんじゃないの?などとイチイチ突っ込めばキリが無いですが、もちろんいいシーンもありました。自分的に泣けたのはテルーが歌う所ですね。演じた手嶌葵はこれが初出演の新人らしく、そんなに演技がうまいとは思わなかったけど透明感のある歌声はもちろん素晴らしかったです。ただ『テルーの歌』を2番までキッチリ歌うのはちょっとカット的に長いしいささか商売っ気が入ってない?と思いましたが(笑)。
声優は全般的に悪くなかったと思います。菅原文太は人生経験豊富なゲドに合っていたし、クモ役の田中裕子も性別不詳な不気味さが出てていい感じでした。アレンの岡田准一は役柄の年齢よりちょっと声が低すぎないかなとは思いましたが、少なくとも聞けないほどヘタではなかったので良かったです。ただ、役者声優さんはアクションの演技の時に出す声(ハアッ!って掛け声とか荒い息づかいとか)がどうもイマイチだなといつも思ってて、この映画でもそこが多少気になりました。その辺は洋画の吹き替えとかで演じ慣れている専業の声優さんの方が明らかに上手い所ではないでしょうか。

片やお話の内容は、どうしても点が辛くなるのがアレなんですが…。
そもそも冒頭でドーンと出した親殺し(本当に死んだかどうかは不明)が大してストーリーで機能していないのが気になります。監督の父子の相克なんて客には全然関係ないんですけど、あえてそこを持ってきたのなら何故その後の話に絡めないのか。すべてが終わった後アレンに「じゃ、国に帰ります」なんて言われても、エー?としか思えませんね。それから、どうやらアースシー世界は魔法が使えなくなりつつあり、自然は荒廃し人心も乱れた『混沌』に向かっているようですが、『親殺し』はその混沌の象徴としての意味しかなかったのかなと。要するにアレンの”影”のエピソードのきっかけにしか過ぎないんですよね。吾郎監督やジブリ関係者にとってはそれはそれは大事な意味があったのかもしれないですけど…。
それから、劇中に世界の『均衡』という言葉が頻繁に出てきますが、アースシーとそこに住む人間にとってそれがどういう状態なのかが良くわかりませんでした。世界の均衡という言葉を頻繁にゲドは口にするけど、その世界の均衡を崩しているのはどうやら人間らしいのですが、具体的に何をしたから世界の均衡が崩れたのか、その説明が全くないんです。人間が無制限に魔法を使う事が均衡を崩す事なのか?と一応理解したんですが…。だから大賢人ゲドが倒さねばならなかった相手は[生と死の]均衡を崩す魔法を使ったのがクモであるという話になるのでしょうか…。
この小説が書かれ始めたのは、冷戦まっただ中で世界がキューバ危機などを経験した後の1969年です。その辺の社会事情が背景にあると考えると、米ソの力の『均衡』が見かけ上の平和を生み、それを壊すのが核兵器(=魔法)であるならまさに現代は劇中のアースシーそのものであり、秩序を失い混沌に近付きつつある…『均衡』とはその事を言ってるのかとも考えましたが…。いや、そんな企画書に書いてあるような事俺が言っても仕方ないですね(笑)。ファンタジー小説がただの現実の引き写しであるならばそんなつまらない事は無いし、ゲド戦記が今に至っても読まれ続ける事もなく消費されてしまったでしょうから…。で、アースシーの『均衡』の話ですが、そこで恐らくもう一つの力の要素としてドラゴンが出てくるわけです(多分)。テルーが[ドラゴンの化身](と俺は理解しましたが)だったのは、ドラゴンが一般にファンタジーでは高度な魔法生物であり自然の持つ力の象徴であることからして、ラストで[クモ]を倒す(『均衡』を回復する)時にドラゴンが出てくるのはしごく当然のことなのでしょうが、映画内でドラゴンについてはあまり触れられず、結局何で[テルーがドラゴンの化身]でなければならなかったのか良く分からなかったし、それでクモを倒すのも無理矢理オチに持って行ったようにしか見えませんでした。ファンタジー映画でありながら、ファンタジー要素をよく分かってない、理解が行き届いてないような印象を全般的に感じました。その辺が宮崎吾郎氏の初監督作品の限界だったのかなぁと…。
吾郎監督には第二回があるのかどうか、興行の数字的にはそれなりのものが出てそうなのでまだチャンスはあるでしょうから、次は監督の手に収まるような題材で、イマジネーションが楽しめるような作品が見てみたいですね。ただ、ジブリアニメは宮崎駿の新作が始動してるようですし、そっちの方が全然気になるのも厳しい現実ですけどね…。

ー映画関連商品まとめー

テルーの唄 (ゲド戦記 劇中挿入歌) スタジオジブリ・プロデュース 「ゲド戦記歌集」
ゲド戦記 THE ART OF TALES from EARTHSEA―ゲド戦記 ゲド戦記―詩画集

ゲド戦記―宮崎吾朗監督作品 アースシーの風に乗って―映画「ゲド戦記」完全ガイド 僕たちの好きなゲド戦記

ー原作小説ー
ゲド戦記 全6冊セット ゲド戦記全6冊セット
ゲド戦記 1 影との戦い ゲド戦記 2 こわれた腕環 ゲド戦記 3 さいはての島へ
ゲド戦記 4 帰還 ゲド戦記 5 アースーシーの風 ゲド戦記別巻 ゲド戦記外伝

posted by Bomber at 16:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
見たんだねー、ゲド。
そっか、そんなに酷評されてるんだ。そういう情報も最近全然仕入れてなかったから^^
個人的には、もともと父親のほうに映像化してもらいたかった原作者側がどういう評価をしてるのか、ちょっと気になっていたり。
ところで菅原文太はサムライジャックでアクーの声をあててたりもしてますね。あれもなかなかいいっすよ^^
Posted by KAN at 2006年08月13日 00:39
あー、我慢出来ずに観ちゃいました(笑)。
原作者の評価はどうなんだろうねぇ?
滅多に出ない映画化許可なんだし、父ハヤオが作ってくれると思ってたのなら複雑な気持ちかも…。映画自体の出来ではなく、プロモーションも含めて『売れるように作られてる感』が感じられたのが、世間での評価を下げてる原因かなとも思ったりして。

菅原文太はイイ感じでしたよ。サムライジャック気になりますね。
Posted by Bomber at 2006年08月13日 05:00
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